マニラMR

共同生活体験の場

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ィリピン マニラMR

2002年8月、ニュースタート初の海外MRがフィリピンに開設されました。場所はフィリピンの首都マニラ市を中心とした"メトロ・マニラ"南部のアラバン。空港からハイウェイでくれば約30分くらいの所にあります。周辺には高級住宅が集合したビレッジが点在し、日本の物とは規模が比較にならない巨大なショッピングモールなどがあります。清潔感があり治安も比較的良い所です。

フィリピンの公用語は、英語とタガログ語です。主要な交通手段の一つにジプニー(小型の乗合バス)があります。行き先が車両前面にあり、それを見て乗車します。降車は、屋根をコンコンと叩く。活動を円滑に行うため、現地女性スタッフ2名が参加していますが、彼女らと一緒に行動する中で、このようなフィリピンの文化や風習に触れる機会も増えました。

2003年、英語・タガログ語を解さない「直説法」を用いて教える日本語学校開校を目指し、教材作成をしています。


ヤスタについて

 以前、パヤタスは自然に恵まれた豊かな土地でした。ここに住んでいた人々の多くは農業を営み生活していたそうです。しかし20年ほど前から、政府がこの土地をごみの集積場にしたため、そこにはたちまち広大なごみの山が築かれてしまいました。
 パヤタスには現在も、数百台に及ぶトラックが都市のごみを捨てにきます。ごみ山の周辺にはコンクリートと廃材で作られた吹きさらしの小屋が建てられ、そこに住んでいる人のほとんどは、ごみ山でリサイクル可能なごみを拾い、それを廃品回収業者に売ることで生活している、通称「スカベンジャー」と呼ばれる人たちです。彼らの多くが一日働いて得られる収入はわすか200〜400円程度です。わずかな稼ぎでなんとか生活を続け、そこに住む家族や住民同士が助け合いながら暮らしています。
 フィリピンではごみの分別が行われないため、生活で不要になった廃棄物はそのまま全てごみ山に持ち込まれます。中には血液の入った注射器など、危険なものが混じっていることもあります。乾季には熱せられたごみが科学変化を起こしガスで自然発火が起こり、ごみ山は煙に覆われます。また、雨季のごみ山は雨水でぬかるみ、土砂崩れを起こすためスカベンジャーたちに致命的な危険を伴います。
 あたりには常にごみの腐臭とおびただしいハエの群れ。ごみ山から発生する有毒ガスや煙、病原菌。生きるために必要な知識や技術がなく定職につけない人々。主に田舎での貧困から抜け出そうと、職を求め都市へやってきたものの仕事がなく路頭に迷う多くの人が、ごみ拾いさえすればどうにか暮らしてゆける、と多大なリスクを背負ってでもパヤタスに移り住んできます。
 2000年には長雨のためごみ山が崩落し、300人以上の人々が生き埋めになる事故が起こり、後にそこに居た多くの住民たちが政府から移住宣告を受け、隣の州にある再定住地へ移りました。事故後の4ヶ月間、ごみ山は閉鎖されていましたが、それ以降は事故のあったごみ山以外は再開されることとなり、閉鎖の間、職がなく不安を抱いていた人々の中には再定住地先からごみを拾いにパヤタスへ通う人も出てきました。現在は再定住地の付近にもごみ山があり、そこへ働きに出ている人もいるようです。

パアラランパンタオ
 マニラ首都圏、パヤタス地区のごみ山のふもとにあり、パアラランパンタオとはフィリピン語で「人々の学校」を意味するそうです。貧困や出生証明がないなどの事情で教育の機会を失った子供たちが通う授業料のいらいないフリースクールです。学校の先生は高校や大学を卒業、在学経験のある地域の女性(主に生徒のお母さん)たちが務めています。  午前は幼児教育、午後からは小学校教育課程の教育を行っています。
 2000年に起きた、パヤタスのごみ山の崩落事故の後、モンタルバンという地域にある再定住地に移住した家族の子供たちのために、2003年には新たに分校も加わりました。また、学校に通う生徒のほとんどは地域のスカベンジャーを親に持つ子供たちです。  生徒の中にはごみ山で働いている子供もいて、家計を支えるために夏休みなどの休校中や、登校前の時間を使って大人に混じってスカベンジングをするそうです。
 校長のレティシア・B・レイアスさんが、近所の母親たちに子供の勉強の世話を頼まれたのがきっかけとなり、初め5人だった生徒が1ヶ月後には40人を超え、学校開設にいたりました。

程野 史朗


リスマス日記

 ここでフィリピンの人たちのクリスマスについて紹介したいと思います。とは言ってもスタイルは人それぞれなのでここでは自分が見聞きした一例に過ぎませんが。
 フィリピンの人たちとってクリスマスはとても重要なイベントです。そして家族を大切にします。「13月の給料」といってクリスマスシーズンにボーナスを渡すところがあります。フィリピンでは大家族が多いので、全部クリスマスパーティの準備やプレゼントの購入に使ってしまうこともあるようです。またお金が無くクリスマスプレゼントが買えない人達はジープニーの中や街角で寄付を募ったりもしています。
 フィリピンの正式なクリスマスシーズンは12月16日から1月6日までですが、12月初旬くらいから準備を始めます。MRの周りにある家では様々なライトの飾り付けがされ、ショッピングモールやスーパー マーケットでは店員がサンタクロースの格好をして、大勢の人で賑わいます。また渋滞がひどくなる時期でもあります。
 クリスマスは単に家族団欒の行事ではありません。精神的・宗教的にもとても重要です。私たちは24日の夜、バクララン教会に行ってきました。ミサを行う聖堂の脇の建物の中にキリストの像や聖母マリアの絵が置いてあり、そこに手を当てて祈りを捧げている人たちをたくさん見かけました。そこには結構狭くて暗い部屋なのですが、数千本のロウソクに灯がともっています。暗闇の中、祈っている人々や像や絵の姿が浮か上がってとても綺麗で印象的でした。ミサの内容はキリストのエピソードにまつわる劇や聖歌の合唱、神父様による聖書朗読などです。ルソンの人々のほとんどがクリスチャンなので、ミサは重要な行事です。この点が日本のクリスマスと大きく違うところですね。
聞いた話では、多くのフィリピンの人々は24日、25日の夜を家族とパーティを開き、家でご馳走を食べたり、音楽を掛けて踊ったり、プレゼントを交換したりして過ごすそうです。25日の夜、私たちはMRの近所の家に突撃取材してきました。一見してかなり裕福な家庭のように見え、その家族はたぶんクリスマスパーティの為に三世代集まっているようでした。初めは写真を何枚か取るだけのつもりでしたが、突然の申し出にも関わらず快く承諾してくれて、食事までご馳走していただくことになり、彼らと日本のことやフィリピンのことなどの話題を3時間ぐらい話してきました。彼らは家族でとても楽しそうに過ごしていました。フィリピンの人々にとって家族と共にクリスマスを過ごすことは、とても大切なイベントのひとつなのです。
 一家の主人らしき男性は日本の横須賀、佐世保、沖縄にいたことがあり船の修理をしていた、と言っていました。また日本の印象を尋ねた所「(物価が)高い。でも日本の人々はいい人たちだ」と言っていて少し嬉しくなりました。また別の男性は「他の国の人は家にきても追い返してしまうが、我々は歓迎する。フィリピン人はOpenなんだ」と少し誇らしげに言っていました。あと凄かったのは子どもたちですね。少し日本の文化を知っているらしく「○○は英語で何ていうの?」と英語で尋ねてきたり、「ダイジョウブ!」と叫んだりする子もいました。
フィリピンにはシンバン・ガビという16日から24日までの連続9日間、早朝4時から行われるミサがあり、敬虔な信者はこの期間中毎日通うとのことです。
 実際に22日朝4時に近くの教会へ行ってみると数百人以上の大勢の人たちが集まっていました。ミサの内容は、まず賛美歌を3つ歌いました。(知っているのもあれば知らないのもありました。英語・タガログ語です)次に神父様が説教し、その後短い歌と聖書朗読を交互に行います。それから神父様が水差しのような小さい器から人に何か渡していました。(たぶん聖体拝領だと思います。聖体拝領とはイエス・キリストと一致し、超自然の命を養うために、その体と血を頂くことです。具体的にはパンとぶどう酒を飲食します。ぶどう酒を頂かない場合もあり今回もそうでした。基本的に洗礼を受けた信者しか受けられません)最後に皆で合唱して解散です正直言って言葉もわからなくクリスチャンでもない私たちにとってはやや退屈で馴染みの無いものでしたがとても真剣に臨んでいる人々は多くいます。また中央Baclaranの市場を抜けていくと左手に大きな教会が見えてきます。

石塚

本語学校開校をめざして

日本語の教師をやるためには、まず生徒がわかる言葉(例えば英語)を使えないと話にならないと思われるかもしれませんが、僕たちがやっている方法は「直説法」と言って、その国の言葉をほとんど使わず、日本語で日本語を教えるというやり方です。

こ・そこ・あそこ

例えば「ここ」「そこ」「あそこ」を教える場合は、ジェスチャーを使いながら「ここは教室です」と生徒に音を聞かせ合唱し、「ここ」の概念を理解させます。「そこ」の場合はアシスタントの人に家の絵を持たせ、「そこは家です。」と合唱します。同じ要領で、あらかじめ遠くに学校の絵を置いておき、「あそこは学校です」とやるわけです。また、僕から見て「ここ」でも生徒から見ると「そこ」という場合もあるわけで、アシスタントが「ここは家です」と言ったあと、僕が「そこは家です」とかやったり、僕が学校の絵の場所に移動して、「ここは学校です」と言ったあと、皆に「あそこは学校です」と合唱させたりします。慣れてきたら、生徒を実際に移動させて「ここは学校です」とか「あそこは病院です」とか言わせてみたりします。

こんな生活を続けていると、なんか学生時代に戻った気分です。自分が実はそんなに勉強が嫌いではないというのを確認したり(笑)。その割には週末が待ち遠しかったり。最近は、週末にジプニーやバスを利用して遠出したりして、気分転換をしています。

勉強ばっかりしてますが、楽しい事も多く、充実しています。後は、もう少し英語が出来るようになれば言うこと無しなんですが。

山本(マニラMR寮生:2002年8月〜2003年8月帰国)